同族会社は一般的に、社長一族がやりたい放題するから、滅茶苦茶だと言われていますが、正にその通りです。
私も2度同族会社に勤めましたが、基本的に社長一族がやりたい放題。
新卒で入った零細製造の同族会社では、二代目のボンボンが車好きで、経費で車を何台も好き勝手に買いまくり。
まぁ、色んな車に業務の一環として乗れたのでそれはそれで楽しかった。
フェラーリが社用車とか凄いと思いませんか?
でも、二代目がいきなり「飲食部門を立ち上げる」と宣言した年に私は退職。
正直、これ以上付き合ってられなかった。
目次
転職を繰り返したきっかけは経営センスなしの二代目社長
阿部さん56歳は、以前法人関係の営業部長をしていましたが現在ビルの清掃員。
15年程勤め、管理職であり会社運営がわかる立場にいたことが転職をしようとした動機。
手堅く営業を行なってきたメーカーだったので、私が入社したころは利益はそこそこ出ていました。
同族の会社で二代目から三代目に変わると、やはり息子としては父親と別の事をしたいと考えたのか、それまでの生産手段・作業場所をことごとく変更した頃から経営自体に影が差してきました。
大手百貨店で使用の商品が売り上げのネックでしたが、生産方法を変更してしまったために、メーカーとしての強みを発揮することができなくなってしまいました。
すべての生産をこなしていくのがメーカーとしての強みであり利益確保であるはずなのに、生産工程の中に他社からの商品としてある部分のパーツを仕入れなければならなくなってしまいました。
当然、仕入れるわけですから、その利益は圧縮。
主力商品の利益が圧縮されてしまえば、そんなに大きい会社ではないのですぐに経営響いてきます。
更に他社の参入によって、納入価格さえ抑えられてきました。
売上、利益の核になるその商品も見直されます。
支払いも手形が主でしたので、価格が落ちたとしてもそう簡単に商売をやめるわけにもいきません。
自社製品でないものも扱っていたために、その商品の支払いも発生します。
支払いは現金です。
現金を得る為には手形を割らなければなりません。
自社製品は減ってくる、その他の商品は増え当然資金繰りは苦しくなる。
割れる手形を失うわけにもいかず、下降する商売を継続していくしかありません。
資金不足に陥り、よくある話に向かっていきます。
支払先に期限延長をお願いし幹部社員から現金を出させ、不渡りを回避していくおきまりのコース。
転職を繰り返す際に50代が心配したのはもちろん収入減
転職するにあたっての心配事はなんといっても収入の減少でした。
そんなに貰っていたわけではないのですが、いざ仕事を探すうちに現状程度の収入がそう簡単ではないことが分かってきたからです。
当然、夫婦共働きです。
将来を考えて貯蓄もしていかなければなりません。やはり退職を考えた時は夫婦でかなり長い時間話し合いをしたと思います。
一度安定していた給料で生活していれば、その生活の質自体を落すことはなかなか辛いものです。
会社がどう考えても危ないとわかっていても、その後の生活を考えると踏ん切りをつけるのはそう簡単ではなかった。
年齢を考え次の仕事を色々検索してみても、条件の良い転職先がそう簡単に見つかるはずもなく前にも後ろにも進めず非常に辛かった。
転職を繰り返し良い条件の就職先が見つからず大変だった
転職した時の私の年齢は49歳。
自分としても体力にはまだまだ自信がありましたし、もう小さい会社で営業をやるより、安定性があり尚且つ就業時間のはっきりとした工場勤務をしたいと考えました。
以前の営業でもサービス残業は当然の事、サービス休日出勤もしょっちゅうでしたので、決まった時間を働き残業は残業代として別にいただく普通の仕事がしたかった。
給料が下がるのは、この際仕方ありません。
でも、体力があるうちは、そんな会社で働きたかった。
選ぶ条件として、まず以前の同族会社ではなく、つぶれる心配がなくバックがしっかりしている会社を当たっていきましたが、簡単にいい会社が見つかる訳はありません。
50歳近くになって仕事を探すことが、どんなに厳しいかを思い知らされました。
この年齢になって、失業保険に頼っていつまでもフラフラしているわけにはいかず、一刻も早く収入を得なければなりません。
結局、仕事が決まるまで半年ほどかかってしまいました。
妻も、今月で決まらなければ、アルバイトでもいいから働いてほしいと思っていたようです。
働き口は、大手製紙会社がバックにある古紙回収業。私の思っていた条件を備え、この年齢でも雇ってもらえるところた。
無収入がこのぐらい続くと、そんな条件よりも給料がもらえるといった単純な事で、就職を決めてしまった気がします。
その仕事ができるのか、続けられるのかより、なんとか収入を得たい気持ちばかりが先走ってしまいました。
中高年の転職は相当なスキルでもない限り考える時間はあまりありません。
焦りがありました。
転職を繰り返し条件が最悪の就職先を選んで大失敗
入った会社は古紙を回収し、それを選別し、選別したものを再生紙の原料として製紙会社に納品する業務が私に与えられたポジション。
簡単に言うとよく街中で出されたゴミを行政や個人の回収業者が集め、それを会社として買い取り、その買い取ったゴミをそれぞれの用途に合わせて選別しプレス、規定サイズに固めて出荷するものです。
この選別作業は大変つらいものがありました。
作業は基本的に屋外で行われます。
一般的に古紙といっても、回収されたものの中には色々なものが入っています。
最終的に再生古紙に生まれ変わるためには、原料に絶対に入ってはいけないものなど結構あります。
例えば金属、カーボン紙、転写物など。
病院等の回収物などには、信じられませんが注射針、カテーテルなんかも普通に入ってたりします。
こんなことはあってはならない事ですが、実際現場ではよくあることです。
このような異物が原料に入ってしまうと、製紙会社より猛烈なクレームがきます。
何度もクレームが発生すれば、選別の正確性を問われ取引中止になってしまいます。
先程も書きましたが、この選別作業全て屋外でなされます。
雨が降っても、雪が降っても、猛暑だろうが極寒だろうが地面に撒かれたゴミを這いつくばるように選別していきます。
朝から晩まで同じ事の繰り返しで毎年、何人かは熱中症で倒れます。
選別体制の姿勢を長時間続けていると、腰にかなりの負担がかかります。
疲労性の腰痛になる人もいますし、ギックリ腰も普通。
私の場合、これらのものすべてを経験しましたね、体力自慢も今まで使ったことのない筋肉を使うのですぐに筋肉痛です。
体がガタガタになって朝起きるのもできなくなった時、退職を決意。
安易な気持ちで入ったことを痛感しました。
50代の転職は失敗して貧困に直行かまとめ
最後に要点をまとめておきます。
- 転職の動機:三代目バカ社長の暴走で資金繰りが厳しくなった
- 転職の手段:ハローワーク
- 要した期間:約6か月
- 転職先は、古紙の回収業者
- 安易に転職するんじゃなかったと後悔している
- 体力的に限界を迎え、転職先を退職
自己都合で退職した場合、失業保険を受けることができる期間はあっという間に過ぎてしまいます。
私も同じ経験がありますが、刻一刻と過ぎていく日々と戦いながら、転職活動をするには、相当タフでないとやっていけません。
下手をすれば、狂ってしまいそうな転職活動から逃れたい故、なし崩し的に、契約社員に走ってしまう50代は少なくなく、一旦簡単な方法に逃げると戻れなくなります。
本当に注意してくださいね。