
「 ちくしょー、私が帰国子女だったら英語がペラペラで、TOEICも900点ぐらいあって、今ごろ外資系企業に勤めてるのになぁ 」
なんて妄想モード全開のアラフィフは結構な数いるのではないでしょうか?
私も帰国子女やその子供たちを見て、ついつい羨ましく。
だって4歳の子供が私より上手にペラペラ英語しゃべってるんですもの。
4歳にして既にバイリンガルなんて将来有望と言うか、恐るべしです。
長い間アメリカに住んでおられた志智さん50代は、4年前に帰国。
その後、抜群の英語力を生かして、ただの主婦から計測機器メーカーの専属翻訳家として勤務することとなりました。
目次
帰国したての50代の主婦が挑んだ転職活動
旦那さんのアメリカ駐在を終え、日本に帰国した時に、長女が小学1年、長男が年少の歳でした。
長女の出産を機に、それまで勤めていた会社を辞めてから約8年、全くの主婦でしたが、子供達が学校と幼稚園に行くようになり、それなら空き時間で自分の得意とする英語を使ってまた働きたいと思い、一念発起ではないですが、そこから奮闘しました。
まずは、英語の資格の取り直しから始めました。
元々、英国のケンブリッジ上級英検を取得してましたが、20年以上も前の学生時代の話。
現代の社会では、TOEICが英語力を判断する基準になっており、募集要項にもTOEICのスコアを記載していることがほとんど。
そこで、TOEICを受験しようと決め、早速次回開催予定のTOEICに受験申し込み。
ここから受験の日まで約2ヶ月。TOEICスコア900を目標とし、上級者向けの文法教材と長文読解の教材を買い込みました。
もともと、アメリカに長期で滞在していたこともあり、聞き取りは問題なく出来るだろうと思っていたので、文法とリーディングに特化した勉強を実施しました。
子育ての合間を縫って、といっても、私の場合は、夜は子供の寝かしつけのタイミングでそのまま寝てしまうことが多かったですね。
だから、朝の3時に起床して、夫の弁当と家族の朝ご飯を用意しはじめる6時までの3時間、ほぼ毎朝勉強した甲斐があり、2ヶ月後の試験にて無事スコア980を獲得出来ました。
このスコアを持って、地元の派遣会社の数社に登録。
子供達の習い事の送迎が出来るようにと、車通勤できる地元の企業を中心に、英語を使えるような職場を探しました。
元々、ドイツ語検定2級も取得しており、たまたま地元の計測機器メーカーが、ドイツの会社との協業を開始し、英語とドイツの分る翻訳・通訳の人材を募集している記事を、登録先の派遣会社のページで見つけ、そこの募集したところ、2回の面接で無事派遣としての採用が決まりました。
転職にあたっては「 マンパワーグループ 」にて大変お世話になりました。
この計測機器のメーカーで勤務すること3年、実績が評価されて社員として採用されることになりました。
が、その矢先、再び夫の海外転勤が決まり、幸い休職という扱いを取って頂き、現在はフリーランスとして海外にて在宅勤務をしております。
50代の転職ではスキルや経験ががないから心配した
年齢が相当であったことから、何かしら技術がないと、今後の自分の人生においても、まだまだ稼ぐことができるのではないかという思いがありました。
なんとか得意な技術を人よりも更に優れたものにすることが、今後の自分の成長、そして、いつでも、どんな年齢になっても採用してもらえるようにと、語学、ひいては翻訳、そして通訳という分野に特化して、日々努力して勉強したことが効いたのでしょう。
加えて、子供達がまだ小さいということ。
また、息子に関しては、私学のインターナショナルスクールに通わせたこともあり、学校のイベントやボランティアなどで、休みを取らざるを得ない状況が多々あり、そういったことにも柔軟に対応して下さる職場を探しておりました。
幸い、上司の男性が、単身赴任者で、地元に残してきた家族( 奥様とお子様 )が、私と同様な状況であったことから、
子供の都合による出勤時間の調整、また急な休みにも理解を示して下さり、柔軟に対応して下さったことが、その会社にて活躍できることに繋がったと思います。
50代で転職して子供に会える時間が減って苦労した
当初、転職した際は、子供達も母親が働くことに戸惑っていたことから、朝10時から夕方4時の時短勤務にしておりました。
しかし、これでは、依頼される業務が終わらず、在宅が許されていたことから、徐々に在宅の物量が増え、家事と育児がおろそかになるようになりました。
限界を感じていたところ、夫の理解もあり、朝9時から夕方5時の勤務時間に変更し、長時間の労働を確保するようにしました。
ところが、やはり年少だった息子には、母親のお迎えが遅いことが応えたようで、夜なかなか寝付けなかったり、すこし暴力的になったりと、影響が出始めました。
幼稚園のママ友に相談すると、交代で息子を預かってくれるママさんたちが出てきました。
息子も、同級生のお友達の家に遊びに行くのはすごく楽しかったようで、母親との密な時間が減った部分を、お友達の家でお友達と交流することで埋めていたようです。
その後は、たくさんのお友達を作れたことから、それが息子の自慢となったようで、楽しい幼稚園生活を過ごすようになりました。
娘については、学童に入れていたのですが、私の帰宅が遅いこともあり、学校や塾の宿題が、夜遅くまで終わらないといったことがありました。
もっと早く帰宅して、勉強をみてあげたいと思っていたものの、定時時間内に仕事を終わらせることに必死であったこともあり、なかなか早く帰宅することができませんでした。
娘にはかわいそうな思いをさせているなと、でもがんばっているお母さんの姿を見て、娘も眠い目をこじ開けながら、一生懸命勉強に励んでくれました。
お陰で、漢検や数検など、受験させた試験は今までいずれも合格しています。
50代の転職では安定した収入を得られて良かった
転職してよかったことは、定期的な収入を得られるようになったことです。
それまでは、夫の収入に頼っていましたが、8年ぶりに就労する中で、お金を得るということがどれほど大変なことがを身にしみて理解出来ました。
収入が発生するようになると、市民税や地方税を納め、夫の扶養ではなく、自活している自分にとても誇りを持つようになりました。
また、学費以外の生活費は、すべて私が賄うことが出来たことも、夫にとっては生活に余裕を与える結果となった為、彼も今では私の働くという選択にとても感謝しています。
また子供達に対しても、自分が稼いだお金を使って、不自由なく購入してあげられるようになりました。
夫が不在の時でも、母子でTDLやユニバーサルスタジオに泊まりで遊びに行けるほどの余裕が出始めた頃には、親の心に余裕がある、イコール、子供達にもその影響は高いもので、小さいながらも将来の夢を高く持ち始めるようになりました。
アラフィフの母親が再就職するにあたり、大変さを目のあたりにしている子供達は、自分たちも手に技術を持った何かを身につけようと、日々勉強にいそしんでいます。
私といえば、一定の会社で、翻訳・通訳という仕事に打ち込んできたことから、その腕を更に磨くべく、休職中の間はどれほどフリーランスとして活躍できるか、試しているところです。
この期間も有意義に使うべく、在宅作業は最小限として、今後会社に寄与すべく、契約書や特許などの英語を独学で学習をしております。
一度、仕事が波に乗ると、次々と未来が開けます。
自分が何をしたいのか、明確に分ってきます。
そういう意味でも、目標を持って活動することはとても重要であり、それは私が転職したことから目覚めた部分でもあり、今後もどんな年齢になっても、がんばって働き続けたいと思います。
帰国した50代主婦が転職して通訳になった話まとめ
最後に要点をまとめておきますので、参考にしてください。





やはり特殊な能力があれば、どこにいても引く手あまたなんですね、羨ましい。
そもそも、一発でTOEIC900点台とか次元が違いすぎます。
私なんて、20年以上も勉強してて、500点行くか行かないか辺りを徘徊してるんですから。
もし外国語系が得意なら、外資系やホテルなんかでメチャクチャ重宝されるので、是非トライしてみてください。